Half-Awakening, Half-Sleeping

日日の雑記と創作物に関する長めの感想の物置

鳥山明『SAND LAND』(2000)

【2024/1/6】去年の同じ頃、大友克洋童夢』を購入した全集版で読み、そのあまりの西部劇性のために興奮してひっくり返った記憶がよみがえってきた。ぼくは成人してから罹りだした“連載漫画恐怖症”が年々酷くなっているせいで、長編漫画に手が伸びず(積んでるのに)、たいてい単巻完結漫画を求めてしまうのだが、それでも忌憚なく傑作といえるものは読めているし、いつまでもこわがらずに色んな漫画を読みたいんだけどそれはそれとして。

砂漠化し水が貴重となった世界は、世界として拡張されたモニュメント・バレーにほかならず、其処における手練れの荒くれ者と生き残る為に手を組む老“保安官”もいるし、蓮實かぶれのシネフィルにはおなじみの、“空になった水物入れは投げ捨てねばならない”というジャンル規範も息づいている。いよいよ、邦画におけるジャンル映画的神通力はみんな'70年代以降の漫画界に吸い取られてしまったという俗流論に、頷いてしまいたくもなる。

あと鳥山明のコマ割りは、既に『ドラゴンボール』(ぼくは通しで読んだことはありません)に関して不特定多数の識者が指摘しているように、視線の動きにきわめて敏感と言える部分があるが、ここでは比較的四角形のコマが多いためか、映画における(内側からの)切返しとクローズアップに、かなり近しいとも言えよう。そういえば映像化されてるんだった。先に読んでいたら、映画館でかかった時観に行ったものを……

それから、俯瞰の構図・見下ろすという行為にかかる物語的な意味とのシナジーも印象的。西部劇的な地平線というものも描かれてはいるけど、それよりはそれを産む俯瞰のほうが作品の本質に近い感覚があった。ここでの俯瞰には、ある種の(権)力が働いている。水利権を寡占する“王国”は飛行船を禁じているが、それは水源を空から見つけさせないためだ。あるいはベルゼブブが夜、高い岩の頂上で深呼吸のような姿態を取るのは戦闘用の「闇のパワーを吸収」するためだと、シバを見下ろして言う。

その一方で、シバとベルゼブブ一行の戦いは、地面から同じ地平線上の敵と戦うというかたちにほぼ終始する。とりわけ小型戦車における戦闘が、彼らにふさわしいスタイルとして描かれる。『ドラゴンボール』的な空中での競り合いは皆無で、跳躍も“高く(上方向へ)”では“遠く(横方向へ)”という趣。この様子では、空中を確保している王国軍との紛争は極端に不利では……とこちらをやきもきさせるのがうまい。危機と快楽の配分がきわめて絶妙で、読むプログラム・ピクチャーとしては最上級品のひとつと言ってもいい。