Half-Awakening, Half-Sleeping

日日の雑記と創作物に関する長めの感想の物置

ジャック・ベッケル『アラブの盗賊』(1954)

☆☆☆☆(初見)。恥ずかしながらジャック・ベッケル初鑑賞。

切返しやアクション繋ぎのかかったショット群の呼吸と、合間に挿まれた持続するワンショットが両方とも粋ですばらしい。前者の例だと、序盤の踊る女奴隷たちとつまんなそうにそれを見ているアンリ・ベルヴェールの切り返しが何回かあるが、ひととおり照明が更新されていて丁寧。無論ヒロインのサミア・ガマールの表情や肉体へのそれも抜かりがない。後者だと、隊商たちを高所から捉えたカメラが右にゆっくりパン(冒頭あたりしか観れていない「現金に手を出すな」もパンで始まっているけどこの演出家の好みの動かし方なのだろうか)すると、斜面に盗賊団が待ち構えているところとか。そうしたサスペンスフルなものがあったと思えば、小銭をパンくずのように配置して門番をおびき寄せるくだりのファルスにもパンが用いられており、手数は多い。そもそも、中庭を取り囲んだイスラーム圏の邸宅のつくりがこのカメラの動きとよく合っているのが、終盤の宴会でのドタバタでよくわかる。

ほかに代表作と呼ばれるものがいくらでもあるこの作家の最初を、この映画で行こうという気になったのは、昨日読み終えた蓮實重彦『ショットとは何か』(2022)からの影響だと白状しておこう。蓮實はクライマックスで、フェルナンデルに導かれたアラブの人々が大群を成して宝物の洞窟のある渓谷を埋め尽くす「無言の存在感」(P23)を賞賛していた。人々のざわめきを一度鎮めたあと、フェルナンデルは一度だけうやうやしく神に伏拝し、人々も一度だけ伏拝する。そうしたらあとは“開けゴマ”をやって、ばっと窟へ流れ込むだけ。ここで変に演説をぶったりしなくてエライなあと思った。アリババの民衆への行動はもっぱら素朴な人道主義をなぞってはいるが、その表明は映画では演説よりもむしろ、民衆をしっかり画面に捉えてみせることにおいて輝いている。